演説・歴史

真珠湾攻撃と開戦直後の日米英の演説やニュースの全文!歴史と英語を学ぶ

こんにちは。

 

昭和16年(1941年)12月8日(ハワイ時間で7日日曜日の早朝)、日本海軍による世界初の空母機動部隊による真珠湾攻撃が敢行されました。

 

今回は、

  • 真珠湾攻撃の意義と戦果
  • 真珠湾攻撃と対日開戦を伝えるBBCのニュース音声と全文
  • 真珠湾攻撃を受けたルーズベルト大統領の対日批判演説の音声と全文
  • 対米英開戦を正式に宣言する大東亜戦争宣戦の詔書の全文
  • 昭和16年12月8日の日本国民向けラジオ放送の音声と全文
  • 歴史的な演説やニュースで英語を学ぶ

についてご紹介します。

 

真珠湾攻撃の意義と戦果

 

真珠湾攻撃が開始されたのは日本時間で12月8日の未明でしたが、ハワイ時間では12月7日日曜日の早朝でした。

 

日本との交渉が決裂したら日本軍が石油の備蓄が十分なうちに資源を求めて東南アジアの植民地やその宗主国を攻撃するであろうと数多くの有識者が警鐘を鳴らしており、

日本軍が奇襲攻撃をするとすれば多くの軍人が休暇を取る日曜日であり、

アメリカ太平洋艦隊の主力を叩くとすれば真珠湾であることは、

多くのアメリカメディアでも予想して報道していました。

 

日本海軍は6隻の正規空母赤城加賀蒼龍飛龍瑞鶴翔鶴)と戦艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻からなる空母機動部隊を編成し、世界史上初めて実戦に投入しました。

(真珠湾空襲に参加した空母艦載機は、第一次攻撃隊と第二次攻撃隊を合わせて350機。)

 

空母機動部隊は11月26日に択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)を出港し、海が荒れるため一般の船舶の通行が少ない北太平洋を縦断し、日米交渉がまとまれば途中で引き返す手筈を整えつつ進撃しました。

[Wikipedia] 真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図(Wikipedia)

 

米英軍の空母艦載機に比べて段違いの長大な航続距離を誇っていた日本海軍の空母艦載機は、

米英軍の常識を覆す遠方であるハワイオアフ島北方約400キロで空母艦載機350機を発艦させました。

 

下の図で攻撃隊が到達した位置や時間や編成が記されています。

 

第一次攻撃隊が日本時間午前3時10分にオアフ島カフク岬北方に到達し、

(ハワイ時間は4.5時間加えて一日遅らせる。)

その編成は、

  • 97式艦上攻撃機を主力とする水平爆撃隊(水平飛行しながら大型爆弾を投下する)49機
  • 99式艦上爆撃機を主力とする急降下爆撃隊(急降下しながら中型爆弾を投下する)51機
  • 97式艦上攻撃機を主力とする雷撃隊(海面すれすれを飛行して魚雷を投下する)40機
  • 零式艦上戦闘機を主力とする制空隊(敵の飛行機を攻撃し制空権を確保する)43機

でした。

 

第二次攻撃隊は約一時間遅れて到達し、その編成は、

  • 97式艦上攻撃機を主力とする水平爆撃隊54機
  • 99式艦上爆撃機を主力とする急降下爆撃隊78機
  • 零式艦上戦闘機を主力とする制空隊35機

でした。

大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図(Wikipedia)

 

第一次攻撃隊と第二次攻撃隊を合わせた日本軍の損害は、

  • 航空機損失29機
  • 航空機損傷74機
  • 戦死64
  • 捕虜1

などでした。

1941年10月、開戦直前の真珠湾(Wikipedia)

 

一方でアメリカ軍の損害は、

などでした。

 

日本軍機が病院を爆撃したなどのプロパガンダをしている映画もたまにありますが、

日本軍の攻撃対象はアメリカ軍艦艇や飛行場施設などの軍施設に限定されており、

アメリカ民間人の死者のほとんどは、アメリカ軍による対空砲火の破片が落下したことによるものでした。

 

真珠湾攻撃と対日開戦を伝えるBBCのニュース音声と全文

 

真珠湾攻撃の第一次攻撃隊がハワイオアフ島北端を遠方に目視したのが、ハワイ時間7時35分(日本時間午前3時5分)であり、領空は海岸から12海里(約22.2キロメートル)ですから、

真珠湾攻撃で日本海軍の攻撃隊は日本時間午前3時5分ごろにアメリカの領空に侵攻したことになります。

 

一方、日本陸軍がイギリス領マレー半島(現在のマレーシア)のコタバルに上陸したのは、日本時間午前2時15分であり、領海も海岸から12海里ですから、

マレー上陸作戦で日本陸軍の上陸部隊がイギリスの領海に侵攻したのは日本時間午前1時ごろと推定されます。

 

真珠湾攻撃よりも先にイギリスに対して侵攻していた日本軍ですが、イギリスのBBCはそれには触れず、真珠湾攻撃をメインに報道しています。

 

当たり前ですが自衛戦争においては国際法的に宣戦布告は必要なく、自衛戦争かどうかは該当国が判断するものであり、

日本は「帝国の自存自衛」のためやむを得ず戦争に突入したと宣戦布告文書でも述べています。

 

日本軍は真珠湾攻撃より先にマレー半島に上陸していたにも拘わらず、イギリスが卑怯な騙し討ちと日本を批判することはほとんどありません。

 

日本への批判の言葉はほとんどなく、淡々と開戦の事実を伝えるイギリスBBCのラジオニュースをお聴きください。

 

文字起こしをし、日本語訳を付けたものがこちらです。

 

 

真珠湾攻撃を受けたルーズベルト大統領の対日批判演説の音声と全文

 

こちらが真珠湾攻撃を受けてフランクリン・ルーズベルト大統領が、アメリカ標準時間の8日に議会で演説した音声ビデオです。

 

ワシントンの日本大使館の職員が前日に送別会をやっていて日本からの電報の翻訳や文書化が疎かになり宣戦布告(「対米覚書」の手交)が間に合わなかったというのは有名な話です。

 

「対米覚書」はアメリカ標準時間7日午後1時(日本時間8日午前3時、ハワイ時間7日午前7時半)までにアメリカ側に手交するよう命令されていました。

(アメリカ東部冬時間は、日本時間より14時間遅れます。)

 

しかし、実際に手交されたのはアメリカ標準時間午後2時20分(日本時間8日4時20分、ハワイ時間7日8時50分)で、

イギリス領マレーのコタバルに上陸を開始した約2時間50分後、真珠湾攻撃の約1時間後でした。

 

しかし、ルーズベルト大統領が上記「Infamy Speech」で日本を批判している理由は、

真珠湾攻撃日時から空母機動部隊の出撃日時を計算すると、日本は対米交渉を続けながら裏で真珠湾攻撃作戦を既に行っていた

ということです。

 

巷でよく言われている”宣戦布告が遅れた”ということではないのです。

 

国際法的に防衛戦争に宣戦布告は必要ありませんし、第二次大戦後の戦争において宣戦布告が行われた例はごく少数に限られています。

(イラク戦争ですら開戦前の宣戦布告は行われていません。)

 

 

対米英開戦を正式に宣言する大東亜戦争宣戦の詔書の全文

 

「対米覚書」が時間内に行われたとしても、それを宣戦布告と見做せるかという問題も提起されています。

 

12月8日の日本時間午前11時45分に渙発された、天皇と総理大臣と全大臣の名前で正式に宣戦を布告する文書が「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」です。

(12月8日の日本時間午前3時5分ごろに第一次攻撃隊がアメリカ領空に侵入。)

 

何故戦争という手段に訴えざるを得なかったかがよく分かる部分の現代語訳を抜き出します。

中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は、汪清衛・南京政府に新たに変わっ た。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と、いまだに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには禁輸措置を意図的におこなって、 帝国の生存に重大なる脅威を加えている

余は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決さ せようと、長い間、隠忍(いんにん)したのだが、米英は、寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない

 

 

昭和16年12月8日の日本国民向けラジオ放送の音声と全文

 

1941年12月8日は臨時ニュースで日本全国が震撼しましたが、NHK戦争証言というページに当時の音声が載っています。

 

東条英機首相によるラジオでの決意表明がこちら。

 

 

歴史的な演説やニュースで英語を学ぶ

 

いくつかの歴史的な演説や文書をご紹介しましたが、日本語と英語の両方の原文と翻訳が付いているものも多くあります。

 

これらのものを使って英語を学ぶと、歴史も学ぶことができるだけでなく、

歴史的に価値のある文章なので、文章を覚えてしまうほど繰返し読んだり聞き流ししても、

それは決して無駄にはなりません

 

まずじっくりと読んでみて内容や単語や文法を理解し、

その後、速度を変えながら朗読させて何十回も聞き流しを行ってみてください。

 

他のことをしながらでもよいですので、とにかく長時間英語に触れることが肝要です。

 

数カ月後、あなたはびっくりするほど英語が聞き取れるようになっており、何かの機会に改めて驚かれることでしょう。

 

聞き流しをする方法の説明はこちらです。

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